4月8日(月)12:49
新たないのちが生まれた
第二子となる長男が産まれてきてくれた
2,574グラムという長女とまったく同じ体重で出てきてくれた
元気な姿を私たち夫婦に見せてくれた
私は初めて出産の立ち合いをした
時折見せる真理香先生の手の震えや呼吸を目の当たりにしていた
私はただただ声をかけ、手を握ってあげることしかできなかった
帝王切開とはいえ、その時は嫁さんの緊張や不安を和らげることしか考えていなかった
いや、自分の声を出すこと・手を握り合うことが私自身の緊張や不安を解消させてくれていた
そう、お互いが「無事に産まれてきますように」って強く願っていた
そして、お医者さんの「くるよ!」の一声を聴いたとき
私の手が力み、嫁さんの手の力が緩んだ
と同時に、真理香先生の顔が安堵の表情になった
直後、お医者さんや看護師さん達から「おめでとうございます」と言われ、
なぜか一瞬戸惑ったが、徐々にうれしさと安心と感謝が混じった感情を実感してきた
あなたがお腹の中でパパとママの声を聞いていたように、パパとママも今あなたの声が聞こえたよ
無事に産まれてきてくれてありがとう
無事に産んでくれてありがとう
術後しばらく経って、麻酔が切れたことが原因なのか
真理香先生はとてつもないお腹の痛みに襲われていた
唇がかわき、うずくまり、うなっていた
18時まで飲むことや食べることが許されない中で
私は娘とお義母さんと一緒に声をかけることしかできなかった
真理香先生によると、娘の出産後も同様な痛みもあったとのことだったが、
病院が違うとはいえ、今回は異常だということだった
それでも、定期的に看護師さんやお医者さんが看に来てくれて
真理香先生の容態はだんだんと落ち着いていった
その様子を見て、当日2回目の安心とともに
私は自分ができること、すべきことを優先順位的に整理していた
出生届、医療証、戸籍届、マイナンバー申請、児童手当金支給申請、出産手当金支給申請・・・
そのために必要な書類(母子手帳等)を預かり、準備していた
そして先週より、真理香先生は10日間の入院を経て退院し、実家で安静にしてくれている
私は週末ぐらいしか会えないが、時々送ってくれる写真や動画で自身の活力になっている
そういった喜びを家族や職員に共有したい、画像を見せたいって思っていた
でも、祖母には見せてあげることができなかった
先週15日(月)午前11時に肺炎のためいなくなってしまった
受け入れがたい現実があるって知っていても悲しいもんは悲しい
産まれてきた我が子をおばあちゃんに見てもらいたかった
私の第二のお母さんみたいに幼少期から小学校低学年まで
面倒をみてくれたおばあちゃんを笑顔にしてあげたかった
いくら問いかけても全然動いてくれなかった
いくら泣いても昔みたいに「大丈夫ね?」って言ってくれなかった
私の母にとって通夜や葬儀の準備をすることが大変なことなんて知っていたから
私は待合室でおばあちゃんと二人でいようって決めた
自分にできるすべてがそれだって思ったから
それが、母への最大の協力であり、祖母への最大の供養だって信じたから
昨日いろいろとこの2週間を振り返ったとき
「いのち」ってひとつしかないんだよな
姿が小さかろうが、大きかろうが、「いのち」の尊さや価値はいっしょなんだ
自分は「いのち」を守り育てる仕事なんだよな
どこにいても人それぞれたいせつな「いのち」があるんだ
そんなことを考えていた
そして、たったひとつしかない「いのち」を私も全うしていきたいと思った
人生の主人公は自分以外にいないと思った
その主人公は、子どもたちに「いのち」のたいせつさを
少しでも伝わるように伝える役割を担っていることが再確認できた
最後になりましたが、
先週よりたくさんの保護者の方々からお祝いのメッセージを頂き、
その言葉が私にとってたいせつな糧となっております
これからますます邁進していきますので、今後ともよろしくお願いいたします
深謝